2021年2月
2月 28, 2021 ぴよぴよ
1月 31, 2021 ぴよぴよ
コロナ禍がさらに暗澹たる影を残したまんま
年が明けた。
いつ終わるともわからない
みえないウイルスとの戦いに少々疲れてきたところで
非常事態宣言がふたたび出された。
自分の環境も少なからず影響を受けた。
こんなに、日常生活と社会とが密に交わることは
私が生きてきた間でついぞなかったことである。
国家のオペレーションについてはさほど深く考えたわけではないが
”小正月”はプルードンの誕生日であったので考えたりもしたが
表現はできなかった。
こんなとき、プルードンは何を思うだろうか
思いを馳せるにとどまった。
「海上保安庁の日」ではクリステヴァとモンテスキューを用いて
国家と移民について考え、また、境界についても考察はできたとは思う。
「食い違いの日」では征韓論を批判してこれに呼応した。
「明太子の日」ではさらに韓国賛美を添えた。
「小正月」→「鏡開き」、「七草」では
連綿とつづくアジアを感じさせることにより、さらに日本のおかれている
諸外国への態度がどこかチグハグであったという思いが強くなった。
賭けの情熱についても
表現ができなかった記事であるが、
読書経験だけでなく、日常の意思決定の場面にて
少しずつ賭けの意識を取り入れるべきだろう。
覚悟と責任を引き受ける勇気が必要であると思う。
囲炉裏の日についても、もう少し突っ込んだ議論はできるはずである。
囲炉裏の持つ神秘性について、表現が鈍くなってしまったと思っている。
逆に料理番組の日では
TV番組の「料理天国」がもっていた当意即妙の企画の混ぜ合わせを
ゲシュタルト心理学を使って説明できた
さらには、
「左遷の日」は政権をめぐる事件として菅原道真公の左遷と
カノッサの屈辱と連関させて述べた。
「消火器点検の日」では、セザンヌのプライドを書いたので
「左遷の日」に書いたプライドと並べて
楽しく覚悟していくところを示唆できるのではないかと思う。
批判めいた記事も目立った
「コラーゲンの日」では広告を
「テレビ放送の日」ではTVを
「生命保険の日」では生命保険会社を
それぞれ疑問を持って書いた。
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12月 31, 2020 ぴよぴよ
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12月 04, 2020 ぴよぴよ
5月までは後遺症の話は出ていなかったが
最近になって、新型コロナウイルスにかかると
後遺症がでることが判明してきた。本当に厄介だ。
いずれにせよ、かからないように用心するというより
罹ってはいけない。
ところが、感染者数は増加し高止まり、
第三波がきたと云われている。
一日も早い終息をのぞむ。
11月の13、14日は、出張したため
記事を書く時間がとれず、やむを得ず
香港旅行記事で埋めた。
この香港旅行のときは、いろいろなことを考えるきっかけにも
なったので、この記事も引用される機会はふえてくるであろう
そういった意味では、転載は悪いことではない。
灯台の日はミケランジェロの話題
家庭文化の日では、歴史家アリエス、
文化の日〜立冬までは中国文化の話題にふれた。
そのあと中盤は、チーズ、豚、自然薯など食材の話題
後半は、スエズ運河や、マゼランなどに世界史に関する話題にふれた
系統が違うのが、江川くんの日。昭和史の話題だった。
絵本の日とミッキーマウスも
新しい挑戦で、自分としては筆が折れたが、
まぁなんとか書き上げた。
10月 31, 2020 ぴよぴよ
中秋の名月から、ちょうど1ヶ月が過ぎた。
はやいもので、もう少しで立冬である。
季節は早いねとかいいながら、ちゃっかり楽しんでいる。
そんな自分になれることにあこがれている。
漢詩の勉強が足らずに、季節ごとの漢詩の詩句が浮かんでくるのには
まだ少し修行が足りないようだ。
これも習慣の問題なので、その日のテーマ(今日は何の日)に因んで、
ぴったりの詩が浮かび来るように、取り組んでいきたい。
●解題
中盤の食に関する記事で、
近畿大学のマグロの養殖での苦労と、
同じ大学の研究で、さつまいもをエネルギーとして育成していこう
という試みについて書いた。
世界規模で考えていくべきガイアとの付き合い方について
考えさせられた。
18日と20日には統計の数値についてとらえることを書き、
数値がどのように人間の頭に(考え方)に影響をあたえるかについて
モルの日と積分の日に書いた。
バラバラのテーマについて扱いながらも
連なった思考の線が辿れる。
月の最後には、
研究者でも専門職でもない自分が
考えていく時間をどのように確保していくかを
生活とのバランスの中でどう折り合いをつけるのか
について、書いてみたが、本来はこのようなことは
本編になんの関係もないので、Amebaの役目に侵食してしまった。
というのも、会社の人間関係の悩みのためつい深酒してしまい
考える時間を捻出できなかったことによる。
もっと会社とも距離をとって行くべきであろうと思う。
10月 02, 2020 ぴよぴよ
前月の記事で書いたように、
東京にいる理由がもはやなくなったなどと書くと、
おこがましいであろう。
地方出身者の私は、かつては東京に憧れて、
東京にしがみついて生きてきたのだから。
東京で一生暮らすようなライフプランがイメージできておらず、
たまたま、”コロナ禍によって見いだされた地方のメリット”に逃げ込むのに過ぎないのである。
かつて東京というレッテルを背負ってきた自負があった。
俺は東京という場所でITをやっているという自分の能力を
誇示したい時期もあったのだ。
単に歳をとってついていけなくなったのかもしれない。
でもついていけなくなってはいけない。
どこにいこうが、もう一度ネジを巻き直して、
発動しなくてはならない。
高度化・複雑化したこの世界においては、
スキルを身に着けていかないといけないからである。
そうでないと、どこへ逃げ込もうが、また、やはり東京でないと・・・
みたいなことを言い出しかねないのである。
覚悟というほどではないが、ともかくも9月も毎日なにかしら
noteを書いてきた。
実力はついてきたかどうかは世間が判断することであるが、
下手でもいいから、とにかく学び続ける姿勢は取り続けることが
できたわけだ。
それはわたしにとっては成果である。
これからも、淡々と続けていこうと思うのである。
笑えば福が訪れてくれるように、
学び続ける姿勢を保っていけば、必ずや、
実際に学び続けることができることを信じて、
書き続けてみようと思う。
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