2021年1月
コロナ禍がさらに暗澹たる影を残したまんま
年が明けた。
いつ終わるともわからない
みえないウイルスとの戦いに少々疲れてきたところで
非常事態宣言がふたたび出された。
自分の環境も少なからず影響を受けた。
こんなに、日常生活と社会とが密に交わることは
私が生きてきた間でついぞなかったことである。
国家のオペレーションについてはさほど深く考えたわけではないが
”小正月”はプルードンの誕生日であったので考えたりもしたが
表現はできなかった。
こんなとき、プルードンは何を思うだろうか
思いを馳せるにとどまった。
「海上保安庁の日」ではクリステヴァとモンテスキューを用いて
国家と移民について考え、また、境界についても考察はできたとは思う。
「食い違いの日」では征韓論を批判してこれに呼応した。
「明太子の日」ではさらに韓国賛美を添えた。
「小正月」→「鏡開き」、「七草」では
連綿とつづくアジアを感じさせることにより、さらに日本のおかれている
諸外国への態度がどこかチグハグであったという思いが強くなった。
賭けの情熱についても
表現ができなかった記事であるが、
読書経験だけでなく、日常の意思決定の場面にて
少しずつ賭けの意識を取り入れるべきだろう。
覚悟と責任を引き受ける勇気が必要であると思う。
囲炉裏の日についても、もう少し突っ込んだ議論はできるはずである。
囲炉裏の持つ神秘性について、表現が鈍くなってしまったと思っている。
逆に料理番組の日では
TV番組の「料理天国」がもっていた当意即妙の企画の混ぜ合わせを
ゲシュタルト心理学を使って説明できた
さらには、
「左遷の日」は政権をめぐる事件として菅原道真公の左遷と
カノッサの屈辱と連関させて述べた。
「消火器点検の日」では、セザンヌのプライドを書いたので
「左遷の日」に書いたプライドと並べて
楽しく覚悟していくところを示唆できるのではないかと思う。
批判めいた記事も目立った
「コラーゲンの日」では広告を
「テレビ放送の日」ではTVを
「生命保険の日」では生命保険会社を
それぞれ疑問を持って書いた。
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